C57形はC55形の圧力をアップ、これに伴いボイラー板を厚くし、シリンダー内径の縮小、スポーク動輪からボックス動輪へ等の設計変更により誕生した機関車です。1937(昭和12)年~1947(昭和22)年の11年間に第1次から第4次形の計201輌が製造されました。
1937(昭和12)年に製造された11号機は第1次形に属し、207輌中5輌しか存在しない汽車製造製の中の1台です。
11号機は当初、小郡機関区に配属になりましたが、1945(昭和20)年に門司港機関区に転属、1953(昭和28)年には特急"かもめ" 初列車を牽引しました。1954(昭和29)年には門デフに改造され『波とかもめ』模様を施し、キャブ側窓前には明りとり窓が設けられました。"かもめ" 専用としてヘッドマークも誇らしげに門司~博多間で活躍しました。1960(昭和35)年には福知山管理局へ転属になり、重油併燃装置・集煙装置が装備され、キャブ前面窓のひさしが延長されるなど、当地区の特徴でもある外観に変更され、"かもめ"時代のデフの模様などはなくなり、重厚な機関車に生まれ変わりました。播但線では客貨両用で使用され、運用の都合上からC57形 三重連が組まれることもあり、生野越えでは迫力あるシーンが観られました。
現在では兵庫県豊岡市の中央公園に保存されておりますが、現役時代とは大分異なっております。