C62形は戦後の旅客用蒸気機関車不足を補うため、遊休車であったD52形のボイラーに下廻を新製して、1948(昭和23)~1949(昭和24)年に誕生した我国最大最強そして最後の旅客用蒸気機関車です。以来「つばめ」「はと」を始め「ゆうづる」そして「あき」「ニセコ」等、その生涯を幹線の特急、急行列車の牽引にあたりましたが1954(昭和29)年にはC62形17号機東海道本線木曽川橋梁上において時速129km/hの「蒸機による狭軌最高速度を記録し、その高速性能を証明しました。
今回発売の17号機は呉線時代を、23号機は常磐線時代を模型化いたしました。17号機は1949(昭和24)年に岡山機関区に配属され翌年には名古屋機関区に転属になりました。この機関車の活躍は上述の通りですが、その後は西に拠点を移し、晩年は呉線等で活躍し、この時代は標識燈埋め込み、デフは点検窓が取り付られている姿が特徴した。現在は名古屋市の東山公園に保存展示されています。
23号機は1949(昭和24)年に水戸機関区に配属になり1967(昭和42)年糸崎機関区への転属まで常磐線で活躍しました。交流区間での故障に備えて副燈としてシールドビームが取り付られ、火の粉止めを装着するため煙突が低くなっていました。この23号機は調子が良かったため48号機と共に「ゆうづる」牽引に優先的に使用され、蒸機特急としての最終日上り「ゆうづる」の牽引の任についたことです。