日華事変から第二次大戦にかけて貨物輸送が急増し、主力D51形の増備と共に、より強力な機関車D52形が計画されました。
国鉄浜松、鷹取工場で、ほぼ同時に完成した時は第二次大戦もたけなわの1943(昭和18)年の暮れで当時は物資不足により各部分の材料を節約したり、一部に材木を使用するなどしたため独特な形態をもって生れました。468番がラストナンバーとなっていますが、実際は終戦により183輌が製造中止、途中欠番となり合計285輌しか生産されませんでした。
この日本最大の蒸機D52形も戦時の材料、工作の悪さから真価を発揮できずに、戦後C62形へのボイラー転用、状態の悪いのは廃車、残り150輌近くが1949(昭和24)年より標準設計に改造され最大最強の真価が発揮されました。
D52形は主として東海道・山陽本線の幹線で使用され、他に鹿児島本線や函館・室蘭本線 でも使用されました。今回は五稜郭時代のD52形を模型化いたしました。