D52形は、太平洋戦争中の貨物輸送力逼迫をうけ、1200t貨物列車を牽引できる日本最強の蒸気機関車として製造され、東海道、山陽、函館、室蘭本線に配備されました。
しかし、戦時中の工作技術低下、粗悪な資材、木材などの代替資材が使用されたことで所要の性能を発揮できないばかりか、3度にわたるボイラー破裂事故を起こしています。
492輌が製造される予定であったところ、終戦により285輌の製造に留まったことで、欠番が発生しています。また、製造された285輌も状態不良や戦災などで戦後55両が廃車、70輌がC62形、D62形に改造されました。残るD52形は装備の更新(一部施工せず)、標準化が行われ、東海道、山陽本線で本来の性能を発揮して重貨物列車の牽引に活躍しました。その後、電化の伸展により北海道、九州へ進出していきますが、その軸重から本線系統(甲線)以外に転出することはありませんでした。