D52形は、1943年(昭和18年)から1946年(昭和21年)にかけて、285輌が製造された日本最大の貨物用蒸気機関車です。
増大する太平洋戦争中の貨物輸送に対応し、北海道や東海道・山陽本線で1200t列車を牽引出来る機関車として登場しました。
しかしながら、物資不足による資材の節約、部品によっては代用資材を使用した「戦時型」とも呼ばれる形態で生まれており、本来の性能を活かす事が出来ませんでした。
一戦後になると、戦中の過酷な使用による状態の悪化によって、早期に廃車されたものを除き、多くは標準設計に則った装備改ー造を施されました。
これによってD52形はいかんなくその性能を発揮するに至ります。
御殿場線や山陽本線での活躍も知られていますが、最晩年は函館・室蘭本線で活躍する五稜郭機関区配置機のみとなりました。
その一部は密閉キャブに改造された為、印象を他と異にしています。
北海道のD52形は、優等旅客列車牽引のような華やかさこそありませんでしたが、北の大地で粛々と働く姿は、我々の印象に深く刻まれています。
最後となる202号機が火を落としたのは1972年(昭和47年)の事でした。
D62形は戦後余剰となったD52形の従台車を2軸に改造し、1950年(昭和25年)に誕生した貨物用蒸気機関車です。
当初は稲沢機関区と米原機関区に配置され、東海道本線の関ケ原越えで貨物列車の牽引にあたりましたが、東海道本線の電化が西進するとともに、全機が拠点を吹田機関区へと移しました。
吹田機関区への転属以後、東山トンネルと新逢坂山トンネルの対策で、約半数のD62形に集煙装置が取り付けられています。
山陽本線姫路電化によって余剰となったD62形は、軸重軽減の改造を受け、今度は遠く一ノ関機関区に全機が転属し、東北本線盛岡電化が完成した後の1966年(昭和41年)9月末まで、長町~盛岡で最後の活躍を見せました。
今回のD52形は五稜郭機関区で活躍していた晩年の姿、D62形は東海道・山陽本線で活躍していた集煙装置を装備する前・後の姿、そして東北本線で活躍していた頃の、シールドビーム2灯となった晩年の姿を模型化いたしました
- 【品番11079】D52形468号機:JR西日本商品化許諾済