~実車解説~
★C10形の近代化・軽量化により生まれたC11形
走行距離が短い都市近郊区間用に開発されたタンク式蒸気機関車C10形の改良・後継機が1932年(昭和7年)に登場したC11形です。
大正から昭和初期の頃、国産蒸気機関車の性能は飛躍的に向上し、大型のテンダー式機関車が次々と大量増備されていました。
これらの機関車は本線系統で華々しく活躍しましたが、反面、区間列車やローカル線では第一線を退いた古典機を改造して使用していました。
古典改造機は明治時代に作られたものも多く、性能差はもとより老朽化も著しくなっていました。
また、折からの不況で大量輸送力より経済性と高頻度輸送が求められるようにもなりました。
そのような背景から1930年(昭和5年)に製造されたのがC10形です。
C10形は当時最新のテンダー機のノウハウを用いて設計されました。
それまでの老朽機とは一線を画す性能を発揮し、都市部の快速等でも活躍しています。
C10形の最高速度は95km/hを誇りました。しかし、13tを超える軸重からC10形のローカル線(内線)での使用は困難でした。
その結果、C10形は僅か23輌で製造を終了し以後の増備はC11形となります。
C11形はC10形の性能を踏襲しつつ、電気溶接の本格採用等により軽量化を実現、最大軸重を12.4tに抑えて丙線への入線を可能としました。
外観はデフレクターを装備し、電気溶接によってリベットを廃したため、より近代的なスタイルになっています。
経済性と高性能を併せ持つC11形は、都市近郊区間からローカル支線系統まで、あらゆる短距離輸送線区で重宝されました。
増備も着実に進み、第二次世界大戦中も含め戦後までほぼ毎年製造されています。
また、その使い勝手の良さから、外地向けや民間向けのものも20輌製造されました。(民間向けの最終機は1949年(昭和24年)製です)
15年にも亘って製造されたため、その間、様々な仕様変更が行われてきました。更に使用線区や地域によっての改造も施されています。
★製造時期毎の差異
製造時期による差異は概ね4グループに大別されます。
1~23号機が1次型、
砂箱が前、蒸気ドームが後ろとなった24~140号機が2次型、
水タンク容量が6.8m^3から8.5m^3に増大した141~246号機が3次型、
簡易工法を取り入れた戦時設計の247~381号機が4次型です。
本製品シリーズは、水タンク容量が増大した3次型(141号機から246号機)、戦時設計の4次型(247号機から381号機)を模型化いたしました。
これら381輌のC11形は北海道から四国・九州まで全国各地に広く配置され、旅客輸送だけでなく貨物列車やときには混合列車の先頭に立ち、文字どおり客貨両用の万能機として活躍しました。
バック運転も得意なタンク機とあって短時間での折返しダイヤやターンテーブルを持たない線区での運用にも柔軟に対応できたのも特長です。
★国鉄蒸気時代の終わり、動態保存機としての復活
蒸機時代の終焉が迫っていた1975年(昭和50年)、標津線を最後にC11形は国鉄営業線上から姿を消します。
翌年には入換用も含め国鉄の営業用蒸気機関車は消滅しました。
しかしこの年、標津線で働いていた227号機が大井川鉄道(現・大井川鐵道)で復活したのです。
これが動態保存機による定期的な営業列車のはじまりでした。
その後、大井川鉄道には312号機、190号機も入線しました(312号機は現在車籍抹消)。
JR北海道では1999年(平成11年)に171号機を、翌年にカニ目(2灯ライト)の207号機を動態復元しました。
2輌のC11形は北海道各地で、ときには重連でイベント列車を牽引しています。
真岡鐵道は1998年(平成10年)に325号機を復活させました。
この325号機はしばしばJR東日本に貸し出されています。
このようにC11形は一形式あたり最多の5輌が動態保存されている蒸気機関車です。
- ※JR北海道商品化許諾済(品番51043)
- ※JR北海道商品化許諾済(品番51044)
- ※真岡鐵道商品化許諾済(品番51045)
- ※大井川鐵道商品化許諾済(品番51046)