国鉄は1968年(昭和43年)10月に、ヨンサントオと呼ばれる全国的な大規模白紙ダイヤ改正を行いました。この中で誕生したのが、凾館本線長万部~小樽の通称「山線」を経由し、凾館~札幌を結んでいた「急行ニセコ 3・1号(103・104レ)」です。「急行ニセコ3・1号」の前身である客車急行列車「ていね」は、ヨンサントオで同区間を走る気動車急行「ニセコ」と名称統合された形になっています。
客車列車で運行された「ニセコ3号(103レ)」と「ニセコ1号(104レ)」は、等級改変を経てスハ45形・スハフ44形の普通車6輌と、晩年はスロ62形500番代が使用されたグリーン車1輌からなる基本7輌で編成組成されていました(増車・減車の場合あり)。極寒の北海道を走破するため、二重構造の客室窓、歯車式の車軸発電機、大型の蓄電池箱を装備した43形の耐寒形が充当されていました。晩年は改造・修繕により客室窓や車掌室窓、便所・洗面所窓などにさ様々なバリエーションを有しています。
この7輌編成の客車には、青函航路を経て本州と北海道内を結ぶ郵便車・荷物車が連結され、「ニセコ3号(103レ)」では編成後部にマニ+オユ+マニ+マニの順で、「ニセコ1号(104レ)」では機関車と客車の間にオユ+スユの順で連結されることが多かったようです。これは乗客のみならず、郵便・荷物輸送にも大きな役割を担っていたことになります。
牽引は凾館~小樽を小樽築港機関区のC62形(凾館~長万部は単機、長万部~小樽は重連)、小樽~札幌を岩見沢第二機関区のED76形500番代がそれぞれ担当していました。
「急行ニセコ3・1号」を一躍有名にしたのが、凾館本線長万部~小樽の「山線」でのC62形重連での運用です。折からのSLブームと、最後の蒸気機関車牽引の定期急行列車であることに加えてC62形重連ということで、大変な人気を集めました。
C62形重連で名を馳せた「急行ニセコ」でしたが、C62形の牽引は1971年(昭和46年)7月18日、8月22日、最終9月15日の三重連運用をもって定期運用を外れ、小樽築港機関区と五稜郭機関区のDD51形重連に置き換えられています。気動車列車の「ニセコ」は1980年(昭和55年)に廃止されましたが、客車列車は1981年(昭和56年)2月には43系から14系500番代にバトンを渡し存続。これは本州からの郵便車、荷物車を連結する役割がある為でしたが、1986年(昭和61年)国鉄の郵便・荷物輸送の廃止に伴い、臨時列車への格下げという形で列車そのものが定期運用を終えています。
C62形重連の牽引した「急行ニセコ」は鉄道ファンの間で、永遠に語り継がれることでしょう。