太平洋戦争で消滅していた特急列車が昭和24年から運転が再開されました。当初、「へいわ」という列車名で運転され、車輌も寄せ集 めのものでしたが、翌年には「つばめ」への改称、姉妹列車「はと」の新設、特別2等車・スロ60の組み込みが行われ、昭和26年からはスハ44、スハニ 35、マシ35、マシ36が加わりました。サービス面では、当時あこがれの職業とも言われた「つばめガール」「はとガール」が乗務し、「特別急行列車 」の名に恥じない、華やかな列車となっていきました。「つばめ」は宮原操車場が、「はと」は品川客車区が受け持っていました。
今回、ぶどう色1号の「つばめ」、「はと」の基本4両セット、青大将色の「つばめ」「はと」の基本4輌セットに、各列車のの増結用としてスハ44、ス ロ60(ナロ10)をご用意致しました。
【スハニ35】
昭和26年より製造された荷物室付き3等車です。テーブル付きの座席は一方向きの固定座席になっていました。窓配列はスハ44に準じた配列 になっており、荷物室には乗客の手荷物を収容するための棚が設けられていました。定員48名
【スハ44】
昭和26年より製造された3等車です。テーブル付きの座席は一方向きの固定座席になっていました。出入口を片側だけにして客室面積を広めて います。定員80名
【スロ60】
昭和25年より木造車の鋼体化改造名目で製造された2等車です。足掛付リクライニングシートを装備し、当初は1等車として計画されていまし たが、進駐軍の意向により2等車として落成しました。従来の2等車とは居住性が大きく異なるため、「特別2等車(通称特ロ)」とされました。客室窓 は1000mm幅の広窓で、トイレは車輌の前後2箇所にあります。台車は2軸ながら乗り心地の良い鋳鋼枠ウィングバネ式台車のTR40です。1等車として落成 予定だったため冷房取付準備工事がなされていました。登場後まもなく6輌(13-18)に荷物保管室を車掌室へと改造する工事が行われ100番代(元番号 +100)となっています。定員44名。
【ナロ10】
昭和32年より製造された、10系軽量客車の2等車です。定員48名。
【マシ35】
昭和26年より製造された食堂車です。後年マシ36から編入された車輌(10番代)もいましたが、外観上の差異はあまりありません。冷房装置 の搭載などにより床下スペースが不足し、食堂車として初めて2軸ボギー台車を履きました。車体は窓枠等にも一切木材を使わない全金属製で、日除け にはベネシアンブラインドを採用し、近代的な内装となっています。食堂定員30名
【オシ17】
昭和31年より製造された、10系軽量客車の食堂車です。台枠こそ戦前の客車のものを流用していますが、車体は裾を絞った幅広の軽量車体を 新製しています。車体幅の拡張により食堂定員が国鉄食堂車で初めて40名になりました。
【マイテ39 1】
昭和5年に特急「富士」用として製造された展望車スイテ37010が前身です。マイテ39は1、11、21と3輌存在しましたが、主に「つばめ」 で使用されたのは1と21でした。このうち1は戦後に使用が再開される際、桃山式と呼ばれた純和風の内装から洋風のものになり窓配置も変更されてい ます。(21は落成時より洋風)車体側面の白帯は1等車のシンボルでしたが、戦後は進駐軍専用車に譲り、薄いクリーム色の帯に代わりました。定員14 名、展望室10名
【マイテ58 2】
大正12年に特急「かもめ」用として製造された展望車オイテ27000が前身です。展望室は洋風のデザインを採用しています。戦後は連合軍 に接収されますが、その後返還され形式名がマイテ58に変わっています。
マイテ39、スハニ35形のa行先シール取付位置は以下をご参照ください。
マイテ39・ス ハニ35行先サボシール貼付位置