セキ3000形は1951年(昭和26年)から、2,730輌が製造された30t積みの石炭車です。一見するとセキ1000形と似ていますが、台車が TR20からTR41になったこと、妻構の開口部が無くなったことなどが目立った相違点として挙げられます。
1968年(昭和43年)には積車時の運転速度向上・走行安定性向上を狙い、セキ3000形の台車枕バネを柔らかいタイプに交換したセキ6000形が誕生しま す。この改造は岡山鉄道管理局管内の車輌から開始され、各地域に及んでいきました。全車輌を改造するには至らなかったものの、その数はセキ3000 形製造総数の半分を超える1,509輌にも上ります。
セキ6000形の誕生とほぼ時を同じくして、ヨンサントオと呼ばれる1968年(昭和43年)10月ダイヤ改正の一環で貨物列車の高速化が実施され、最高速 度が65km/h以下の貨車は識別の対象となりました。セキ3000形・セキ6000形もこれに含まれ、形式称号「セキ」標記の前に最高速度65km/h以下を示す 小さな「ロ」の字を付加し、数か月後には識別性向上のために車体に黄帯が巻かれました。この黄帯の位置が地域によって異なるのも特徴のひとつで 、また北海道内運用に限定された車輌は、側面に「道外禁止」の文字が記され、大変印象的な姿となっていました。
セキ3000形・セキ6000形は北海道から九州まで、石炭のみならずホッパ車代用として石灰石などの輸送にも広く使用されました。室蘭本線の約50輌編 成2,400tにもおよぶ石炭列車、D51形三重連で有名な伯備線2492レに繋がれた姫路行きの石灰石輸送、1998年(平成10年)3月まで運転された22輌編成の 美祢線石灰石列車などがあります。