C57形は1937(昭和12)年~1947(昭和22)年の11年間に1次から4次形の系201輌が製造され、全長に比べてボイラーも細くスタイルも美しいことから「貴婦人」の愛称で親しまれました。
C57形は性能も良く、また保守面でも扱いやすかったことから、四国を除く全国各地で旅客列車の牽引を主に活躍の場を拡げていきます。幹線の旅客列車の牽引に活躍していたC57形ですが、国鉄の動力近代化政策(3次長期無煙化計画1964~1975)が実施されてからは、電化やディーゼル化が進められ徐々に活躍の場も狭められて行きました。
無煙化は四国地方が最も早く1969(昭和44)年に、1975(昭和50)年2月には本州、1975(昭和50)年には九州が完了しました。残るは北海道ですが1975(昭和50)年10月末時点で、D51形-60輌、9600形-19輌、C57形-5輌が残っておりました。
この最後まで残ったC57形は、全機岩見沢第一機関区に所属し、(38号機・44号機・57号機・135号機・144号機の5輌)耐寒装備を施され、室蘭本線において東室蘭-岩見沢間の旅客列車運用に充てられておりました。折りしも無煙化完了を迎えようとしていた1975(昭和50)年12月14日、135号機は国鉄おける蒸機機関車牽引による最後の旅客列車(225レ)を牽引し、38年間の活躍に幕を下ろしたことはC57形としては最大の花道と言えましょう。
135号機は交通博物館を経て、現在は大宮の鉄道博物館に保存されております。また38号機は惜しくも動輪だけの保存ですが、44号機、57号機、144号機は公園等に保存されている事は喜ばしい限りです。
今回最後まで北海道で活躍した岩見沢時代のC57形をプロトタイプとして模型化いたしました。