信越本線横川~軽井沢間は1893(明治26)年に営業が開始され、難所の碓氷峠は66.7‰という急勾配のため、開業以来アプト式で運行されてきました。ED42形はEC40形の置換用として計画され、輸入機のED41形を参考に製造された機関車です。
アプト区間も含む横川~軽井沢間のみ使用されたこの電気機関車は、1台車1電動機方式で前後の粘着台車は勾配区間の滑走防止のためロッドで、中間のラック台車は歯車で動力を伝達しておりました。運転台は片側のみで第2エンド(横川側)にあり、横川駅と軽井沢駅構内のみで使用するため搭載されているパンタグラフは第2エンドに1基のみでした。
本線上では第三軌条により集電し運転されていました。
運転時には下り(軽井沢側)の上り勾配では前位に本務機1輌、後位に補機3輌、上り(横川側)の下り勾配では本務補機共に前位に連結して運転されていました。
1963(昭和38)年に役目をEF63形にバトンタッチをするまで、この間を通過する全列車に使用されておりました。