EF62形は、信越本線横川-軽井沢間が粘着式の新線に切り替えられた際、この区間を通過する列車の本務機として昭和37年に登場しました。新型電機では唯一のC-C軸配置を採用するなど、軽量化の工夫が随所になされています。
1次量産型2-24号機と25号機以降の2次-7次量産型では車端側裾廻り、エアーフィルター形状、運転室側窓の車端側Hゴム支持化、屋根上水切形状、避雷器取付位置および形態など外観を主とする差異があることから、1次量産型を前期型、2次量産型以降を後期型と区別されています。
昭和59年、貨物列車や客車列車の減少で余剰となっていたEF62形は、半数近くの26両が高崎第二機関区から下関運転所に転属され、老朽化したEF58形に代わって東海道・山陽本線の荷物列車牽引にあたりましたが、転属から3年後の昭和62年には荷物列車が全廃となり、下関所属のEF62形自体も全廃となりました。
国鉄からJRに継承された6両のEF62形には、平成2年に前面横にCアンテナが取り付けられ「能登」や貨物列車を牽引していましたが、平成5年の「能登」の電車化により定期運用がなくなり、波動輸送に用いられた後平成11年までに全車が廃車となりました。