主な軌間(レール幅)は、1.435mm、路線延長距離約3,000km、電化率100%(交流方式)。
日本語での表現では、スイス連邦鉄道とされ、同国においての正式名称は、この国の主要言語を反映したために、主に頭文字を採った3つで表現されております。(以下参照)
① SBB(ドイツ語) ・・Schweizerischen Bundes Bahnnen
② CFF(フランス語)・・Chemin de FerFederaux suisses
③ FFS(イタリア語)・・ Ferovie Federali Svizzera
現地にて、現在も国有鉄道が所有している機関車や客車の側面サイドには、必ずと言っても良いほどに、これらの略され、綴られた文字を目にします。(SBB CFF FFS)
この国における鉄道事業の開業は、今から約156年前の1847年に遡ります。
1844年に、隣国フランス共和国より延び、国境を越えてBASEL(バーゼル)に直接乗り入れてきた事により始まった。
しかし、その後においては、なかなか国土内の隅々までスムーズに路線延長は進まなかった歴史も持っており、あえてこの原因を2つ挙げるとするならば、まずは、この国の狭く、厳しく、険しい山々の地理的条件が第一の候補に挙がる。
(このことについての難しさは、鉄道用地の確保、莫大な建設費用が必要、安全確実な列車運行を保つといったいろいろとクリアすべき問題点が多いから・・・・・)
次に、州と準州を合わせると何と!25にもこと細かく分かれているこの国の姿は、強力な自主独立性の証でもあり、それぞれに政治的、文化的にも異なったものを持ち合わせており、好む好まざるといった事柄を下に、すぐさま一枚岩の姿のようには成らなかった。というわけで、この時代の鉄道による、鉄道を使った国内交通輸送といった点においてでは、明らかに周辺諸国との事情とは大きな隔たりがあり、その流れを打開するキッカケは、結局、1850年にスイス連邦政府が成立させた公用徴収法であった。
(この法律は、基本的に各州が主な権限を持つものである。)
用地収容が比較的容易となり、州の許認可の下で、セクト主義的な州単位の緻密な鉄道路線網がぞくぞくと敷設され、それに伴って確実に路線延長が進められていった。
19世紀も後半に入ると、スイス各州政府自身で独自に敷設、運行されて来た流れに陰りが見え、外国資本が相次いでこの国の鉄道経営に加わっていくこととなった。
それにより、周辺諸国との間とを結ぶ路線、所謂、接着剤的役割のラインが建設されるようになっていった訳だが、小規模なそれまでの各州単位での鉄道網では、スイス国内を経由し、国と国とを連絡する計画的な、日々安全確実な列車運行を保つことは、当然のことながら、不可能に近い状況下であった。
19世紀〜20世紀前半に発布された法律は、それまで各州が最大の権限を保って来た権限を完全に取り上げ、連邦政府がそれを憲法で規定していくものとされた。
この憲法下においての代表的な完成事業としては、ドイツとイタリアが資金と人材協力をし、完成させた、GOTTHARD-STIECHE(ゴッタルド鉄道)と、SINPL ON
PASS(シンプロン・トンネル)がある。
さて、先ほどの冒頭部分にて、ご紹介させていただきましたボディサイドの有名な表記の成立(スイス連邦鉄道)は、1898年に法制化、施行した主要私鉄の国有化後の姿であります。
実は、この後においても国鉄ばかりが路線の敷設と完成を行っていった訳ではございません。
1913年に私鉄として敷設し、後にSBBの路線網に組み込まれた、BLS(ベルン・レッチュベルク・シンプロン)鉄道は、隣国・イタリアの私鉄であるバルテリー鉄道という会社組織が、シンプロン・トンネルを利用し、スイスにやって来た人々らを内陸各地へ結び付けただけでなく、世界で初めて、完全電化した主要路線として、特に有名である。
ここで電化の話題が出ましたので、これまでの流れと合わせ、付け加えておきます。
スイス連邦の全鉄道の電化率は、現時点においても約95%ととても高い水準をキープしております。
(※何故?100%ではないの?と疑問を持たれた方もいらっしゃるでしょうね。
その答えは、一部の保存・観光鉄道において、現在も蒸気機関車が運転されているためです。)
元来、この国では、石炭という原料が全く産出せずに、専らそれら全てを輸入に頼って来た歴史があります。
輸入に頼るということは、常に安定供給が難しく、その時々において購入価格の変動という問題が発生します。
自国生産にて、1871年より約1,600台以上の生産がなされた蒸気機関車群は、この点を最大限に重要視し、規格統一され、強力かつ、高燃費な、過熱複式等のハイレベルな技術を取り入れ、大変凝りに凝りすぎた感のあるつわもの揃いばかりでした。
しかし、1917年以降は、一部の私鉄と特別な場合を除き、電気動力を軸とした機関車がぞくぞくと投入され、主力と成っていくこととなる。(※これらの機関車群も面白い)水力発電が著しく発達した姿が主な要因とされている。
さて、このコーナーの最後にここ数年間の動きの中で、特に印象に残っている出来事を簡単ですが、ご紹介してみたいと思っております。
それは、ズバリ!遡ること約6年前のイベントです。
1997年に、スイス鉄道は150周年を迎えました。
150周年祭と表現された記念すべき行事が国内各地にて、持ち回りで行われました。保存されている往年の名車の数々、あらゆる鉄道車両が人々の目前に紹介されたようですが、そんな折、このイベント最大のピンポイントは、近年のヒット車両でもある、Re460型電気機関車に、独自の美しいメタリック色の塗装が施されました。
鉄道を軸に、人々が集い、楽しみ、共有したこの行事は、18世紀前後のセクト主義一辺倒で個々に分かれて運営して来た流れから完全に脱皮した証ではなかったのでしょうか?
それぞれを認め合い、協力し、共に歩んでいくぞ!といったこれらの姿は、私自身にとりましては、遠い島国から眺めていても、とても嬉しく感じ、羨ましい光景に見えました。
わが国・日本においても近年は、実際の鉄道会社を中心に、多数の催しが行われていますが、まだまだ特殊なものに感じてしまうのは、私のみではないはず。
一般の人々も気軽にこれらのイベントに参加し、他人に迷惑をかけないような、大らかで、それぞれが心行くまで楽しめるイベントって行われませんでしょうか・・・・・ね!
多分これこそが、本来の成熟された大人社会においての、趣味活動の姿ではないでしょうか。
ますますの開催を期待し、このコーナーの締めくくりとさせていただきます。