日本とスイス時計の普及は、天賞堂を抜きには語れません。精度や品質に優れ、薄くて携帯に便利なスイス時計は、明治初頭にまず横浜の外国商社によって日本にもたらされました。こうした外国商社との取引を通じて大きな信用を得た天賞堂は、明治30年頃には海外にも知られるようになり、スイスから特別注文に応じたいとの声もかけられたほどです。そこで江沢金五郎は、念願の直輸入に乗り出します。これによって時計の価格は下がり、庶民にとって夢の商品を身近なものへと一歩近づけることができると考えたからです。
スイスのラ・ショー・ド・フォンに支店を設置し、駐在員を置いて本格的な輸入への取り組みが始まりました。その頃常駐していたホテル、フルール・ド・リスは、改築はされたものの現在も同じ場所に建ち、往時の面影を偲ばせます。その先駆的な役割は、ユジューヌ・ジャケとアルフレッド・シャピュイの共著による大冊「スイス時計の歴史と技術」においても、紹介に一節が割かれたほどです。
このように、新しい西欧文化の移入でつねに先を歩んでいた天賞堂はまた、アメリカのコロンビア社の東洋における販売権を獲得して、レコード・プレイヤーを他に先駆けて販売しました。ここにも天賞堂の進取の気風がよく現れています。