
念願の時計職人への道が拓けた。ところが、新入りには何もさせてもらえません。ただ3人の先輩の仕事ぶりを見ているだけ。そうです、日がな一日、職人の技を見学しているだけ。で、1ヶ月たったある日、歳の近い先輩が「これを分解してみな」と練習用の古時計を差し出してくれて…。しばらくは、それを何度もばらしては組み立てる毎日でした。
実は、私たちにはマニュアルがないんです。とにかく実物を触って覚えるのみ。製造された国によって構造が微妙に違うし、同じメーカーでも機種によって独自性がある。だから、習うより慣れろなんですよ。5年間は掛け時計や置き時計といった、いわゆる「大物」を担当。スキルの土台は、この時期にたたき込まれました。
でね、幸運だったのは、天賞堂には厳格な徒弟制度がなかったこと。ほら、職人の世界ってどこでも上下関係のしきたりがあるでしょ。ところが、天賞堂には、それがない。実にアットホーム。現に一度も怒鳴られたことがないし、私自身、若手を説教したことがない。こんな環境だから、のびのびと修業に打込めてね。特に当時の室長は、すこぶる穏やかな方で。おぼこい私をつかまえて、いつも諭すように助言してくれるんです。
「いいか。覚えたことは全部、頭の引き出しにしまえ。蓄えて、整理しろ。次に、その引き出しからピタリとはまる知識と技を取りだせばいい」。
この室長の教えを守ると、自分でもびっくりするほど引き出しの中身が増えてね。二十歳を過ぎたころ、腕時計担当に起用されるまでになりました。
そして20代後半。腕試しとして時計修理技術大会に挑戦し、準優勝します。口数の少ない室長も、このときばかりは手放しで褒めてくれてね。成績も嬉しかったけど、「この人と出会えてよかった」という思いのほうが強かったな。

実はこだわりは、ありません。我々職人は、こだわっちゃダメ。自信過剰も禁物。知らないことは素直にたずねる、自らも調べる、勉強する。この謙虚な心構えが肝心なんです。
「唐牛の手にかかれば、動かなくなった時計のほとんどが再び動き出す」って、誉めそやす人もいるけどさ。「ほとんど」直るであって「全部」直るわけじゃない。今、月に150件の修理やオーバーホールを担当するでしょ。そのうち、1~2件は「再修理」の指示をいただく。すると申し訳ない気持ちでいっぱいで、寝ても覚めても、その時計のことが頭をよぎるんです。「歯車の欠損か? 竜頭のズレか?」。故障の原因が特定できないもんだから、通勤電車の中でも、帰宅後の湯船の中でも、今までに蓄えた「引きだしの中身」を幾度となく引っかき回すんです。
再修理を「ゼロ」に。これぞ、時計職人の極み。その頂を目指し、我々はマラソンランナーのごとく黙々と時計と向き合います。この辛さに耐えられなきゃ、お客様の信用を得ることはできませんよ。
今後の夢といったら「頭と手が動くかぎり、現役でいること」、これぐらいしか思い浮かばないなぁ。だから「生涯修行中」でいたいですね。そういう意味では、定年後もこうして仕事を任せてくれる会社には、本当に感謝しますし、幸せ者だと思います。