旅客用8620形と並んで大正時代の機関車を代表するのが貨物用の9600形です。1913(大正2)年から1926(大正15)年までに計770輌というD51形に次ぐ輌数が製造されました。製造会社はそのほとんどを川崎造船が担当し、汽車会社および小倉工場製は僅かでした。重心位置の高いボイラー、背の低い煙突やドーム、小径の動輪が並ぶ足廻りなどにより独特のスタイルが形成されています。当時の性能試験ではマレー式機関車9750形を凌ぐ引張力を発揮して貨物用標準機の地位を確固たるものとしました。製造期間が長く、また全国各地に普及するにつれてそれぞれの線区に合わせた改造が施され、ランボードやキャブ床板部のラインの違い、テンダー形状、デフの有無、煙突・前照灯の差異、エアタンク、コンプレッサーの位置等に様々なスタイルが見られました。この製品は1965(昭和40)年頃、主に北九州を中心に活躍していたタイプで普通デフ付とデフ無の2タイプをモデル化。九州タイプの特徴のひとつであるキャブ下点検窓を再現、当社としては初のテンダー標識灯(尾灯)が点灯式になりました。