D51形は日本の代表的蒸気機関車として、1936(昭和11)年から1945(昭和20)年までの10年間に1,115輌が製造され、その性能の優秀さなどから全国各地の幹線、亜幹線で主に貨物列車牽引、勾配区間においては旅客列車で活躍していました。
山が多い日本ではトンネルが随所にみられ、蒸気機関士にとってトンネル通過は辛い時間でした。特に上りの連続急勾配のトンネル内では力行、煙害によってたびたび窒息事故も起きていました。この過酷な状況から機関士を守るため集煙装置が考案されました。
最初この装置は北陸本線の難所、柳ケ瀬、山中の両峠越えを抱える敦賀機関区で使用され、この効果が山岳線区の機関区で注目されることになりました。
集煙装置は全国的な標準化は行われず、担当工場が独自に製作し、10種類の型が誕生しました。今回は西日本の代表的な鷹取式と正面に空気導入口があることが特徴の長野式の集煙装置を搭載した機関車にそれぞれ重油タンクを設けたタイプと設けていないタイプを模型化いたしました。