▲地図1
▲地図2
イスラエルという国名を聞いた時、私たち日本人は、とても遠く感じ、いつも戦いに明け暮れ、年がら年中政情がとても不安定な雰囲気を持った国との印象が強いではないだろうか? そして、また人によっては、2001年9月にアメリカ合衆国内各地にて発生した、例の同時多発テロ(ゲリラ)を起こした主犯格の集団との明確な区分が、ハッキリとしていないかもしれませんね。
まあ〜とにかく、これらの悪印象は、仕方がありませんね。
日々、伝えられて来る情報、その度重なる国内の爆破テロ関連ニュース等と合わせて、また、一度でもこの国に旅行に行くぞ!と決め、危険度を調べればいつも3〜4の水準のまま・・・・・。(2001年末以降〜)
(参考)外務省発表の危険度の基準。
◎危険度3は、渡航延期勧告
◎危険度4は、家族等退避勧告
一体いつになればこれらの危険度が下がるのでしょうか?
では、先ほどのご紹介した項目1よりもさらにこの国をご理解いただくため、ひとまず、左にある毎回恒例連載となってしまった私の特製?である手書きのものを参照して下さい。(地図1)
このイスラエルを含む、中東と表現されている地域は、ユーラシア大陸とアフリカ大陸に挟まれ、結んだ、所謂、接着剤的な役割をしている、文明の十字路です。そのため、太古の昔から、さまざまな文化と背景を持った数多くの人間が出会い、そして別れた場所でした。交易・共同・紛争が織り成す歴史などにより、
3大宗教であるユダヤ教、イスラーム教、そしてキリスト教も生まれた由緒ある聖地でもある。
さて、今回も前回までと同じようにこの国(地域)を理解し、このプログラムにて、ご紹介できるようにとのマイスピリッツから、いろいろなメディアや文献に終始当たってみました。
しかし、歴史・文化・民族を軸とした、ありとあらゆる部分や項目が、正直申し上げて、とても複雑で、深く、また大変困難なため、これらのすべての事項について、正しい本質と、それらの流れを完全に掴めないままの私でした。
・・・・・ということで、今回は、大変恐縮ながら、私自身が収穫できた、限られた分野のうちの"なぜイスラエルでは、よく民族間のもめごとが起きるのか?"という点のみを重視し、関連ある事柄を合わせ、探ってみたいと思います。
まずは、一般のニュース報道などに、頻繁に使われるパレスチナと呼ばれている地域の解説からです。同地域は、地中海東岸に面するレバノン・ヨルダン・エジプトそして、シナイ半島に囲まれております。ただ、それらのほとんどは、現在、イスラエル(ユダヤ人中心国家)という国が建国されたため、同国に含まれた形となっており、ちょうど日本の種子島と同じ大きさのガザ地区と、やはり日本にある三重県と同じくらいのヨルダン川西岸の二つの地域のみが事実上のパレスチナ自治区(国連認定総人口約362万人)となって、今日まで区分、運営され続けている。(地図2参照)
また、一般的にこの地域に生活する人々をパレスチナ人とまとめて呼んでいますが、これは略称のようなものであって、PLO上(パレスチナ解放機構=1964年設立の政治・軍事的組織)では、1947年まで住んでいたアラブ住民とその子孫、そしてイスラエル建国や第三次中東戦争などで周辺国に移住を余儀なくされたアラブ人をも含んでおります。
次に、アラブ人とユダヤ人はなぜ戦うの?という点について、順を追って探ってみましょうか。以下に、簡単な同地域の歴史、その流れを書き出しました。
■パレスチナの歴史
- 紀元前1020年
- ユダヤ人国家イスラエル王国成立
- BC313〜BC63
- ローマ帝国
- キリスト教徒313〜636
- ビサンチン時代
- 636〜1099
- アラブ時代
- 1099〜1299
- 十字軍時代
- 1517〜1917
- オスマントルコ時代
- 1918〜1948
- イギリス統治時代
- 1948〜現在
- イスラエル時代
といった複雑な過去の流れです。これらを一通り見れば、明らかに時代時代によって、この地域の所有者が全く異なっておりますね。
そのため、それぞれの人種間には、それぞれの言い分や見解が多数存在しているようです。
そして今なお続く、この国の民族間対立の問題に火を注いだその要因のひとつは、第一次世界大戦でオスマントルコと戦ったイギリスでした。この戦いを有利に進めるため、所謂、三枚舌外交政策を使い、フランスとの間では、戦後の中東を両国で分割する密約(サイクス=ピコ条約)を結び、アラブ人との間には、アラブ国家(パレスチナ含む)の完全独立を認める(フセイン=マクマ書簡)を、そしてユダヤ人には、バルフォア宣言であるパレスチナでの民族郷土の建設とその支援の約束。紀元1世紀、ユダヤ王国がローマ軍によって滅亡し、世界各地に離散していた多くのユダヤ人は、19世紀以降(特にヨーロッパ地域)において、反ユダヤ主義の高まりの状況下、自分たちの国の建国を目指すため(ユダヤ人は、過去の歴史にてどの土地でも迫害ばかりの民族だったようです)、パレスチナ地域に移住を開始しました。この民族大移動をシオニズム運動と呼んだ。(第一次移住期)
その後の1930年以後のドイツ・ナチスによるユダヤ人の迫害がさらなる移住に拍車をかけた。(第2次移住期)
第二次世界大戦が終わろうとしていた頃、パレスチナに戻ったユダヤ人は、同地域の総人口の1/3、約60万人となっていた。
これらの流れから、もともといたパレスチナ人とユダヤ人との間にて、たびたび衝突が起き、これらと合わせて、イギリスを標的とした、多くのテロ行為が繰り返されていった。
1947年にイギリスは、これまでのすべての問題の解決を国連に委ねた。同年11月、国連は、この地域をそれぞれの民族に分割し、エルサレムを国際管理下に置く、パレスチナ分割決議を採択した。
しかし、この決議案の内容そのものに矛盾と問題点があったようで(土地所有面積6%弱のユダヤ人に約57%の地域を与える等)、1947年5月14日付けでイギリス軍が撤退した後には、当事者間の合意が行われないまま、ユダヤ人側は、一方的な建国を宣言したが、アラブ諸国が猛反発し、イスラエル国内に攻め込んだのが第一次中東戦争の始まりであった。
結局、この戦いによって、イスラエル側は、先に決められていた、自分らの領土よりもはるかに超えて、パレスチナ地域に侵略したため、追い出されたそれまでのパレスチナ人(約70万人)らが、難民となってしまった。(この時、イスラエルが侵略しなかった地域は、今日までパレスチナ自治政府の管理下である、東エルサレムを含んだ、ヨルダン川西岸とガザ地域でもある)
その後、さらに2度の中東戦争が勃発し、その度に交渉や決議が繰り返されたが、全くと言って良いほどに和平のための明るい答えは、出ていないままのようです。
ここまで書いてきて、なぜパレスチナ人、そしてユダヤ人らは、この土地にそこまでこだわるのでしょうか? その答えを単純に申し上げれば、この地域は、それぞれの民族にとりまして宗教を軸とした聖地らしい。だからこそ、さらにこれらの問題をややこしくしているようです。
近い将来(1月下旬以降〜)、アメリカ合衆国が再び、湾岸戦争を行うという雰囲気となっているようですが、この戦争の本質は、単純にイラク攻撃のみならず、その後におけるイスラエル並びアラブ周辺諸国、そしてそれ以外の地域に向け、新たなる飛び火のきっかけとなるような気がしてなりません。
今後も私自身、シッカリと刻一刻と変化する、世界の動きに関心を持って、見ていきたいと思っております。(私個人としては、特に、私たちの生活環境等が、その後、どのように変化していくのか?が最大の関心事でもあるんですよ)
このコーナーの最後になりましたが、何時の時代も、どんな戦争も以下の4つが主な原因のようです。
1.民族 2.宗教 3.国境 4.経済