InterCity125と聞いて、あなたは一体どんな列車であると思います?
多少なりとも海外を旅した経験や、この種の趣味を長らく楽しまれている皆様に直接お尋ねしてみれば、結構具体的な印象を持たれており、今回のこの連載を正式にアップする中で正直申し上げて、ホット〜一安心させていただきました。
同車のイメージとしては、“英国の新幹線だ!”とか“ブルドック”や“海坊主の親玉みたい”という声まであり、編成全体の配色としては、そのお答えのほとんどが、今から10年程前までの
“Swallow”と呼ばれた国鉄時代末期のクリーム色とグレーの2色をベースに窓下には赤ラインを巻き(先頭部分は+黄色)、前後の先頭車のサイドに付いたIC(インターシティ=都市間連絡特急)を表す燕のマークが誇らしげにあった時代のままでした。
では、以下にこの車両につきまして、約30年に渡り活躍してきたこれまでの流れと共に今日の最新情報を加え、可能な限り正確にレポートをしますので、お付き合い願います!
最高時速200Km/h(125マイル)で全島を日々駆け巡るこの列車は、今なお複数の主要な幹線上において、看板列車として大活躍中です。電気式ディーゼル駆動(注①)を主な動力源とし、この機能を搭載した鉄道車両界の中では、今もって世界で最も速い営業運転用の列車でもあります。
独得の大きなサウンドを周囲に鳴り響かせながら、時々には黒煙(白煙)を勢い良く天に向かって吹き上げ(=だからドーム式のターミナル駅は、視界不良?)、その姿を間近で眺めれば、あたかもモンスターではないか・・と感じ、わが国に多数ある鉄道車両では今もって、お目にかかった事がなく、目撃したあの日から不思議な迫力に釘付けとなっております。
元々この車両の実名は、HST(High Speed Train)でしたが、1988年以降は、IC225という東海岸本線(East Coast Main
line)用の新系列が、この国における最高時速(225Km/h)となった理由より、今日ではHSTよりもむしろ
InterCity125(IC125=インターシティ・ワン・トゥ・ファイブ)で表現されるのが一般的です。
英国もやはりヨーロッパという立地条件からなのでしょうか?前後に付く動力車両は、Class43という専用機関車であり、その間にはMK3という無動力の客車が7〜8両ほど組み込まれ、1本のプッシュプルの固定編成として構成されております。
同車の正式なデビューは、今から約29年前の1976年10月4日で、嘗て広軌2.140mmのブロード・ゲージ(Broad
Gauge)という規格で、路線延長を強烈に推し進めた、天才技術者のアイザンバート・キングダム・ブルネー(Isambard Kingdom Brunel)の居た元Great Western
Railway(G.W.R)社の敷設したレール上からで、信号と地上設備類を若干改良した程度のみでのスタートとなった。この事は、莫大な建設費を新たに掛けなくても、比較的ラクに高速化が可能な路盤がすでに完備されていたという証拠ではないだろうか。
(※勿論、InterCity125が運行した時にはすでに、標準軌間の(1.435mm)で改軌が完成済みでしたが。)
当時、このWestern
Region(西部地域(②)に専ら投入された同列車(最終段階で計画どおりの計27編成を投入)は、MK3という専用の新型軽量客車7両を含めた、一編成が9両での固定編成となっており、253系列というセットで主な分類がなされていた。
その為、同機関車群が持つ固有の形式名称である、Class43(43型)というような呼び方は今ほどにメジャーな言い方ではなかったようです。
日々刻々と、西部地域内においての、旅客輸送人員が増加し、合わせて営業運転時の運用効率が、それまでの列車群よりも飛躍的にアップした為に、一刻も早い近代化が次ぎに叫ばれていた・・・ECML(East
Coast Main
Line(東海岸本線)には、2年後の1978年10月の時刻改正より追加導入が始まり、この路線も最終的には、導入予定数のとおりの総勢32本の編成が任務に就いた流れとなりました。尚、先の西部地域に投入された編成内容とその両数は、当初より異なっていた(一編成=機関車2両+客車8両で、セットによってはビッフェ客車が2両付き)為に、254系列という新セットでの分類区分がなされた。
その後の1983年5月には、Midland Countries(注③)という中部イングランドの各都市に向けて路線を延ばす区間や、今日においては、一民間運行組織であるVirgin XC(Cross
Country)社が主な旅客輸送を担当している、所謂首都のロンドンを経由せずに全島を左右に横断する路線等へも続々と進出し、この事柄は、当時の英国国鉄にとってのカリスマ的な存在と認識され、それまで活躍してきたどんな列車よりも貢献した嘘偽りなき証でもあります。
(※首都・ロンドンから見て、南側の地域は主に第3軌条集電方式の為、一部の例外を除き入線した経歴は今のところは、ありません。)
さて、この列車を実用化するに当たり、実はその4年前の1972年には、試作車両としてプロトタイプの編成を完成させており、実際の本線上において数々の走行テストを地道に行い、高速運転用の貴重な各種データーを収集していた流れもありました。(下記の写真は、York(ヨーク)の国立鉄道博物館内にて)
またこのInterCity125と平行するような形で同じような時期にAPT-E(Advanced Passenger Train
Experimental)と命名した、ガスタービン駆動方式と振り子機能を併せ持っていた大変野心的な4両の試作車両や、1976年5月に一応の電化が完成できたWCML(West Coast
Mainline=西海岸本線)向けに開発を行ったAPT-P(Advanced Passenger
Train-P)という車両も登場し、将来の本格的な営業運転を目指していたのだが、残念ながら両編成共に、その後に発生した、オイルショックや
B.R(英国鉄道)の労使闘争、そして度重なった振り子機能によるアクシデント(例・曲線走行中に車体傾斜で建築限界を超えてしまい、ある時はホームとの接触)等により、結果としてこの平行プロジェクトは、座礁に乗り上げてしまい、APT列車開発のすべては海の藻屑と消え去ってしまった訳です。
今ではYork(ヨーク)にある国立鉄道博物館内の野外にAPT-EをそしてCrewe駅付近の本線の脇には、APT-Pが展示保存をされており、ひっそりとたたずむ両車両の姿を垣間見る事ができます。
これらの歴史より感じた事柄は、結局は従来からの、あたかも階段を一歩一歩昇るような技術力の積み重ねが、最終的には、日の目を拝め、長年に渡って第一線上での活躍が許されるという証でしょうか。
(※私個人の印象では、人にもよるとは思いますが、英国のWASP(プロテスタント系白人)という人種の集団は、何事も遣るとなれば我を忘れるぐらいにとことんやるのに、その必要が無くなったと判断するや否や、それまでの努力をピタリと完全に辞めてしまい、再スタートをするには多くの時間が掛かる・・・と感じておりました。→対極例はゲルマン系の人種?)
さて本来のInterCity125の話に戻りましょう。
これまで順を追って解説してきた中で、編成全体を牽引する同機関車についても大変興味深いエピソードが一つあります。
1978年10月の時刻改正より追加導入が始まったECML (East Coast Main Line(東海岸本線))という路線上での話題です。
“やはり高速鉄道車両の標準は、電気駆動であるという!”見方は、当時も少なからずあり、同じような時期に続々と新しく登場していた各国の鉄道は、地上設備の新設(改良)と共にこの方式がごくごく自然な流れであった。
(例・フランスのTGV、わが国の東海道新幹線等)
英国も一応、WCML(West Coast
Mainline=西海岸本線)という区間では他国と同じ電気方式にての営業運転こそはすでに行っていたのだが、何分同区間の途中においては超えなくてはならない山脈があり、迂回運転による走行区間の延長と共に、気象環境の変化などをモロに受けやすかった。(※特に冬場の積雪)その為、首都より終着駅までの全区間について、ほぼ一定のなめらかで平坦な土地が続く、ECML
(East Coast Main Line(東海岸本線)にスポットライトが向けられて、徐々に電化の工事が進められていったわけです。
1989年4月には、第一陣として輝かしく電化が完成したLondon King’s
Cross〜Leeds間があり、月日を前後しながら約3年の歳月を掛けながら、新形式の電気機関車Class91(91型)と専用客車(MK4型)の開発に着手し、共に営業化を推し進めておりました。
実際の営業運転時には、同国国内史上における最高速度を記録した同列車でしたが、反面、編成中に組み込むはずの専用客車と、今では必ず同編成のロンドン方向に付いているDVT(Drive Van
Trailer)と呼ばれる運転台付きの制御車両の新造が、特に遅れに遅れた為に、また合わせてこの路線の先にある非電化区間への直通運転を模索した結果からか、それまでの主力であったInterCity125編成(客車を含めて10両)のうち、片方向の動力車両を抜き、先の電気機関車と共に試験走行を行った実績もあります。(※この時に大掛かりな改造を受けたのは、8両でした。(注④))
尚、WCML(West Coast
Mainline=西海岸本線)においても、Class86などのさまざまな電気機関車との協調運転テストをしたようだが、残念ながら、各電気機関車とこのInterCity125編成との組み合わせは、結果として実際の営業時には使われずに、その後はそれぞれのネグラの路線に帰り、そして今でも下部のフロントカバーが無いままで、左右のバッファーとジャンパ線類を露出した、ある意味異質な顔のClass43を時として、見られる機会さえもあります。
(写真は昨年London King’s Cross 駅にて撮影したG.N.E.R色ものです。)
さて、この辺でそろそろ同編成の現代についてのリポートをしましょうか?
ご承知のとおり、1994年より開始された英国国鉄の分割民営化政策によって、同編成もその他の別の車両と同じように、今日では全95編成のすべてが、 Angel
Trains社とPoterbrook社の2社の管理下に置かれ、日常の営業運行のみを下記のオペレーターが主に受け持っております。
① First Great Western社 |
●運行区間・London Paddington〜Penzance,Bristol,Cardiffなど
●主要検車区 St.Philips Marsh(Bristol) Laira (Plymouth) |
② Midland Main line社 |
●運行区間・London St.Pancras〜Leicester, Derby, Nottingham, Sheffield, Leedsなど
●主要検車区 Neville Hill(Leeds) |
③ G.N.E.R社 |
●運行区間・London Kings Cross〜Abadeen, Inverness, Leeds, Hull
●主要検車区 Neville Hill(Leeds) Craigentinny (Edinburgh) |
④ Virgin WC社・Virgin XC社 |
(→2004年夏ダイヤまでの運転)※現在は、①〜③の各オペレーターに移籍し、活躍中です。 |
備考)Rail track社の経営破たんによって出来た、新組織・Network Rail社が所有するNew Measurement
Trainという名前を持つ7両編成の軌道検測車両もあります。(→スペシャルとして、このページの終わりにご紹介します。)
月日を追うごとに、転属や編入などが今なお盛んである為に、実際に走り去る姿を確認すれば、運行会社によっては、前後の機関車は勿論の事、中間に組み込まれている客車の外装(内装も)がバラバラという例もあります。
(下記の写真はMain line社色のものです。)
同車が約30年余りに渡ってほぼ100%の割合で、なお第一線で大活躍中という姿は、単純に保守や管理がラクといった現場サイドからの理由のみならず、結局のところは、英国人らの主義である“物を大切に、長年に渡って愛用する”という確固たる信念がベースとなっているように思えてなりません。
今後は、我々も色々な面にて見習う必要を痛切にも感じてもおります。
このページの最後に、データーと今日の姿を出来る限りご紹介させていただきます。(→将来的に別の枠を持って、さらなる紹介にも努めたいと思っておりますので、どうそご期待下さい!)
(注釈の解説)
① 電気式ディーゼル駆動とは?
搭載のディーゼル機関で交流発動機を駆動し、整流器で電圧を調整しながら、直流の電動機を駆動させながら走行のための動力源を発生させる方式。(=同車は牽引する客車向けのサービスも電源も含んでいる)
② Western Region(西部地域)
London・Paddington駅を起点に、BristolやSouth Walesといった各都市や地域を表す。
③ Midland Countries(中部イングランド地域)
London・St.Pancras駅を起点に、Leicester, Derby, Nottingham, Sheffieldといった各都市や地域を表す。④ DVT(Drive Van
Trailer)向けの改造全8両に同工事が実施された。改造された車体番号は以下のとおりです。
第一陣43014,43123 第二陣43013,43065,43067,43068,43080,43084
① InterCity125(Class43電気式ディーゼル機関車主要緒元)
●機関車ナンバー 43002〜43198
●製造数 計197両
●設計・製造 BREL Crewe
●製造年 1976年〜1982年
●軸配置 BO-BO(台車間2.600mm)
●総重量 70t
●車体全長 17.8m(実寸17.792mm)
●車高3.90m/車体幅2.73m
●エンジン形式(総出力・1.500rpm時)
① Paxmann Valenta12RP200l(1.680kW)
② Mirrles BlackstoneMB190(1.788kW)
③ Paxmann VP185(2.010kW)
② InterCity125(Class43)の姿・・・・・
First Great Western社(旧色)
First Great Western社(新色)
Midland Main line社(旧色)
Midland Main line社(新色)
G.N.E.R社(旧色)
G.N.E.R社(新色)
③ InterCity125(Mk3)専用客車ガイド
先の動力車両と共に1976年9月から製造が開始され、1982年までに続々と組み込まれていった。
形式と番台は、主に8つで分類されていますが、今回は個別での解説は割愛し運行会社ごとでの紹介とさせて頂きます。
●基本構成 車体全長23.0m/ 車体幅2.74/ 車高3.90m/ 重量33〜39t台車形式 BT10型/ 台車間2.600mm客室座席数 1等(48席)2等(72席)、食堂車(33席)
☆側扉は、登場以来英国鉄道伝統の手動の外開き式。開閉の為のノブは、外側のみの取り付けである為、客室より降車する場合は、一旦扉のガラスを下げ、手を表に出しノブを回す必要がある。
First Great Western社(旧色)
First Great Western社(新色)
Midland Main line社(旧色)
Midland Main line社(新色)
G.N.E.R社(旧色)
G.N.E.R社(新色)
④ InterCity125編成
主な編成の組み合わせを紹介します。
A 10両編成例
(内訳=動力車両×2両、1等客車×2両、2等客車×5両、食堂客車×1両)
Class43
(動力車)
|
A号車(TGS)
2等(車掌室付)
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B号車(TSO)
2等
|
C号車(TSO)
2等
|
D号車(TSO)
2等
|
E号車(TSO)
2等
|
F号車(TRBF)
1等ビュフェ車
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G号車(TFO)
1等
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H号車(TFO)
1等
|
Class43
(動力車)
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B 9両編成例
(内訳=動力車両×2両、1等客車×1両、2等客車×5両、食堂客車×1両)
Class43
(動力車)
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A号車(TGS)
2等(車掌室付)
|
B号車(TSO)
2等
|
C号車(TSO)
2等
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D号車(TSO)
2等
|
F号車(TRBF)
2等
|
G号車(TRBF)
1等ビュフェ車
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H号車(TFO)
1等
|
Class43
(動力車)
|
⑤ New Measurement Train(NMT) of InterCity125
所謂、高速軌道向けの検測車両で、2003年春頃に余剰となっていた車両を集め、大改造の末に投入をしました。
わが国・日本の鉄道技術の高さを尊敬し、Dr.Yellow(ドクター・イエロー)という同じニックネームとされました。(※Flying Bananaという別名もあります。)
昨年(2004年)秋ですが、日夜を問わずに24時間営業で全島を巡回している同編成の写真撮影に成功しましたので、先の予告のとおりにおまけとしてご紹介をしておきます。同編成の面白い点は、DVT(Drive Van Trailer)向けの改造を施された動力車が2両(43013、43014)含まれており、中間に入っている客車がMK3のみならず、過去に一度も連結する機会の無かったMK2という系列の客車が2両含まれている事です。(※中間のMK3客車は、IC125の試作編成を流用したものです。)
New Measurement Train の編成例(動力車×2、MK3×3両、MK2F×2両)
Class43動力車
#43062&43154
|
Mk3
(977984)
|
Mk2F
(977974)
|
Mk3
(975984)
|
Mk2F
(999550)
|
Mk3
(975814)
|
Class43動力車
(カメラ搭載車)
#43013&43014
|
※編成の進行方向は、随時変更となる。
Class43062
Class43013 (軌道検測用カメラ搭載)
(参考文献等・・・・)
●Modern Railways Magazine各号
●Rail Magazine 各号
●RAIL Express Magazine各号
●HST Silver Jubilee
●British Railways Locomotive & Coaching Stock 2004’
⇒ So many thanks 125 Group members