模型サイト いちかわのWorld Railway 第23回 15 Years Anniversary (InterCity125)(イギリス)

天賞堂製品ミュージアム

いちかわのWorld Railway

はじめに

“Welcome to this program”
“This is Takumi Ichikawa”
“How are you?”
“How’s your Hobby life?”
“Folks, please read here all the way through”

“Man’s mind, stretched to a new idea, never goes back to its original dimensions”
By Oliver Wendell Holmes(1809.8.29〜1894.10.7)

“思えば遠くへ来たものだ…”
ひと昔前の子供の頃、側に置かれていたAMラジオより流れてきた海援隊が歌うその歌詞のタイトルではありませんが、社会人となり、銀座という土地の店先に立ってから、気が付けば今年2005年4月を持ちまして、15年という月日を数える運びとなりました。(8月に入って+4ヶ月目ですネ!)

合わせてこれらの長き歳月は、全く未知なる世界のひとつであった鉄道、そして一見狭そうに見えるが、一歩足を踏み入れれば、大変広くて深い、模型という分野について、仕事をキッカケに学び始め、その為、日々の時々においては、数多くの物と向き合い、他方ある意味では、自分自身のみとの戦いを今なお繰り広げている流れでもあります。(この連載も?)
恥ずかしながら、入社当時は、軌間9mmの線路上で機関車が左右に走る姿も、ドイツのMarklin(メルクリン)社が発売している一般的な動力車両が交流3線式の電気で動くという事実すらも全く???なド素人でした。

まずは、これまでどのような形であれ、社内の人々らはもとより、広く多くの皆様方からの絶え間ないお力添えと数多くのアドバイスなどにより、ようやくここまで到達できました昨今につきまして、心より感謝の念を申し上げておきます。(=有難うございます!)

今後も、あなた自身が持っているであろう、多種多彩の暖かなお言葉とその個々の手助けを承りながらも、お互いにより一層この世界を広げ、心行くまで楽しんでいければ良いな〜などと強く願っております。

さて、今回で第23回目を数えます“いちかわのWorld Railroad”は、過去にアップした連載とは趣きを変え、過去8年の間、そして今持って関心を寄せているエリア(←最近巷でも熱くなってきたゾ!)を、いちかわ色を前面に出し、恐縮ながらご紹介します。
((注意)今までの連載は、趣味じゃなかったの? →道楽のみならば22回も決して書きません。書けません!)

まずは、15年の間、仕事として携わってきた模型とは別に行ってきた事柄よりスタートし、いつものように実際の車両と模型を、そして世界水準で眺めた、明日の模型界の予測などを含め、今回も盛りだくさんの内容で、この筆(=キーボード)を使って進めてまいりますので、最後まで宜しくお付き合い下さい!

Let's Reading!!

第23回目 15 Years Anniversary (InterCity125・Great Britain)

1.15年の間・・・・(Within 15 years)

二十歳で社会人一年生となり、勢い銀座の店先での接客、それも専門色が大変強いこの世界から仕事をスタートさせた私は、模型というキングオブホビーの完全理解を底辺で刻々と進めながらも、それとは別に、当時よりアマチュアレベルで始めた以下の2つの事柄も一緒に楽しんできました。今回の連載では、これらの紹介から始めてみます!

1. 読書のススメ
接客業…。取り扱う商品の内容や業界の違い等により、本当にさまざまであると感じております。
まずは、一般に欧米諸国でこの業種の名前を一括りで表すとすれば、以下の2つが適切ではないかと感じております。
1. The Service trade (※主にホテルやレストラン)
2. The Service industry
そして、直接の販売員を指すならば…
1. A (sales) clerk (米国)
2. A shop assistance(英国)
あたりが、当たり障りのない言い方です。

さて、冒頭ノッケより何故?このような語彙を羅列したのか…と素直に申し上げれば、残念ながら、欧米各国では、一部の超高級店や専門ショップを除いて、その他のほんどすべてが所謂、ワーキングクラスの職種のままとの社会的な認識が一般にはなされております。
(初めて、海の向こうに渡り耳に入った段階では、少々動揺しました。)
たしかに私自身は、模型という世界の専門のお店、その内側に入って働く機会を得たのだから、先の異国の価値観ばかりを余り気に掛けずに進んでも、とりあえずは、無難な姿でいられたのかもしれませんが、折角銀座の店の販売員となれたのだから、取り扱っている商品を十分に知りながらも、その先にあるはずの多くの関係ある物事も含めて学び、そして吸収 していけば、自己成長と共に、より深く、鋭い観点を持ったプロの一員となれる!かもしれないなと勝手に悟り、それ以降〜結局は本日までも、昼食後の時間の許される限りですが、勤務先の界隈にある各書店の店内を巡り、世間で今何が話題であるのか?!…そして、将来は…などという視点に最大限に着眼をしながら、数ある出版物をこの手に取って、時々買い、そして読みまくる毎日が続いております。

もっとも、この証は、学生時代にそれ程熱心に机に向かってコツコツと学んだ記憶が余りなかった為、頭の中身がスッカラカンという反省心からかもしれません。(=いままで何冊読んだかな? 多分1,000冊は軽く超えたでしょう)
先日も店頭にて、このページのすべてをお読み下さっている方より、"文才があ りますが、何かこれまでに、この種のお仕事も遣って来られたのですか?”と の問いかけを頂きましたが、そのような活動はほとんど無く、今から約8年前……ご記憶をお持ちの皆様方もいる とは思っておりますが、天賞堂クラブが 発行している、あの会報の誌面においてでしたが、Nゲージの世界を学ぶ為に、 独自の工作を行い、そして9本の原稿のみでしたが、社内のメンバーらの協力の下でアップしていました。 そして、この連載のキッカケは……。
21世紀に入ったある日に、社内にてこのウェブを総括している者より“連載をやってみないか?”とのお話を頂いた為、その熱き一言に答えるべく、その後は、蓄えてきた各知識を、時々の時勢に合わせながら、その上で職業として選んだこの分野(模型)の紹介を最終的に含めながら、さまざまに書き綴ってきました。

読書を行うと本当に多くの言葉や表現を覚え、深い知識を持つ機会に恵まれ、人と人との会話の時のネタに事欠きません。
今の今まで知らなかった世界までもがいとも容易く収穫可能なのは、インターネットの画面上ではなくて、多くの方々のチェックの入った書店の店先に置かれている出版物であると、つくづく感じてもおります。
「→注・この画面は最新技術のエレクトロニクスを駆使した出版物です。(笑)」 尚、私自身ここ5年ほどは、次項にて紹介する内容が書かれた出版物を捲る日々が特に続いております。

最後にこれまで読んできた中で、未だに持っている、特にお気に入りの書籍を2冊のみですが、この場をお借りして紹介させて頂きます。両タイトル共に日本人の作家が書いたものではございませんが、翻訳化されており、これまでの生活の中で大変参考になりました。


“人生に必要な知識はすべて幼稚園の
砂場で学んだ“

筆者名・ロバート・フルガム氏
訳者名・いけ ひろあき氏
発売・河出書房新社刊
(All I Really Need to Know I learned in Kindergarten)
By Mr.R.Fulghum

”ビジネスマン、生涯の過し方“
筆者名・キングスレイ・ウォード氏
訳者名・城山 三郎氏
発売・新潮社刊
(Memoirs of A Businessman)
By Mr.G.Kingsley.Ward

2.英語を学ぶ(Learning about English)
“It’s difficult to master English, I feel so”
始まりから、こんな言葉を突然発して御免なさい。
今もって触れれば、触れるほどつくづくこのように感じておりますが、何故? 模型屋に勤める者が、これを可能な限り自分のモノにしたいと願い、そのキッ カケは? そしてこれまでのように日々の生活の間で関係してきたのかを、正直申し上げれば恥ずかしいのですが、ページの許す限り、少々ご披露させていただきます。

バブル経済華やかなりし頃、その後の数年の間は、日本国内に何かおいしい話が転がっていないか?という気持ちのみをただただ一心に求め、世界各地より遣って来る訪問者が異常に多くおり(※今では、隣国の中国を訪問した後のついでに立ち寄る人々ばかり)、銀座界隈の各店舗内においてでも、日常茶飯的に商品を買うための交渉を垣間見る光景がここかしこにありました。

ある日差し眩しき時であったと記憶しておりますが、先の例とほぼ同じような流れで、私が立っていたその場所に、日本語を全く口にしない(できない?)一人の西洋風の訪問者が遣ってきました。
ひとまず、恐る恐る販売員のきまり文句の一つである“いらっしゃいませ(=May I help you?)”を言って、反応を待っていたところ…、その後も、ロクな挨拶すら無く、突然彼が発した音は以下のみでした。
Can you speak English……?”
いくら何でも!厚かましく、Canはないだろうと即座に思い、ここは日本だから、日本語で話してください、と懸命に伝えましたが、その後も英語一辺倒だったもので、諦め、泣く泣く過剰な位のインチキ英語をてんこ盛りにして、何とかこの局面をくぐり、この日のご来店記念に?模型を一つ買っていただきました。(→今から考えればマジに情けなかったな〜=大反省)

通常、この場合(相手に尋ねるとすれば)は、“Can you speak English?”では無く“Do you speak English?”が最適な質問表現であるはずです。もしも“Can”からのスタートを希望したいならば、最小限の挨拶などが必要。何と言っても“Can”では、尋ねる相手方の持っている能力や知性を率直に問いただしてしまう危険性があり、大変不愉快にさせます。

それから約数ヶ月の間は、“何が英語だ! ここは日本だから、日本語を話すのが筋じゃないの”と怒りの頂点も最高のリミット状態となりましたが、冷静に考えてみれば、グローバルな時代の到来であり、こちらが前もって、嫌がらずに、少ないながらも自己の引き出しにて、この種の言語の語彙や表現を、覚え、ストックをしておけば、千差万別のネィティブ、ノンネィティブの相手を問わずに、意志の疎通を直で行え、そしてオマケとして、自分自身の世界観や知識が格段に広がるチャンスが掴めるはずだ!と勝手気ままな理想を抱き、志を持って前向きに思い直して構えていれば……不思議と何故だか追って、すぐさま、1993 年春に、当時某国営放送局が毎朝6時40分より流していた番組に出会う運びとなりました。

この番組名は、NHKラジオ英会話(担当・大杉正明氏=清泉女子大教授)です。この話題については、過去のこの連載(第16回目)の冒頭部分にも紹介させて頂きましたが、その後において、お読み下さっている皆様方より、多くのお問い合わせがあり、今回はこの場にて正直に書きました。
私個人、この講師の放送をキッカケに、それまで余り興味の無かった数多くの世界を知り(ルート66・ジャズ・アメリカ深南部など)、英語という言葉を楽しく学び、合わせて英語圏で暮らす人々の習慣や個々の文化面などについても事細かに習得でき(With駄洒落?)、そして海外に羽ばたいた旅先においては、時々で大変役に立っております。
今ではすっかり英国病という名の患者?の一人となっております。(病名の意味が違うかな?)
残念ながら、当番組は今から約7年前の1998年3月をもって終了しまたが、その後もこの方ご自身が、根強い人気があったらしく、つい最近まで、同じ局のテレビ部門にてレギュラーを持たれ、そして今年2005年4月からは“ものしり英語塾”というラジオ放送(月曜・火曜)にお帰りになられてご活躍中です。
(※2005年8月予定の放送では、数週間に渡って、英国が取り上げられますので、早起きして聞かねばならない!)

まだまだ私自身、時として英語アレルギーもひどく、日によっては聞くのも話すのも全く駄目だ!という情けない姿もありますが、始まりはたった15万人のみのローカル言語だったこの言葉は、大国のパワーゲームの恩恵等により、今日では世界各地に広まり、約15億人らの重要なコミュニケーションツールの一端を担っております。
これからもこの言語とは、しょうがない位?に生涯をかけてのお付き合
いを地道に行っていきます。
目標は、先に紹介した講師のような達人レベルですが、勿論私たちの母国語である日本語についても可能な限りのレベルアップに努めてみたいものです。
このページの最後に私からのメッセージを加えさせていただきます。
下記を書くに当たっては、英語についての教育者でもなく、研究者でもない身分であり、誠に恐縮ですが、これまで英語という言語を習ってきた過程で、気が付いた意見を数点ですがご紹介させて頂きます。
(※いろいろな考え方や方法がありますので、参考程度にして頂き、各自でいろいろと模索し、ゆったりと楽しみながら習得してみて下さい。)

●英語という言葉は、大変柔軟で日々変化する言語です。
大もとは、ドイツ語の1方言からで、それらにラテン語、ギリシャ語、フランス語等が加わり、今日までに多くの語彙を増やしてきました。
ちなみに、英国で刊行されている、オックスフォード大英語辞典には、日本語(347語)もオリジナルのままで加えられている。
また最近では、スマトラ沖で発生した地震の影響により、TUNAMI(津波)という日本語の表現が世界中のメディアで頻繁に使われていました。
●自分の言葉で言ったり、書いたり、説明したりする事ができるもののみが、英語も表せる。
●スムーズな会話を求めるよりも、まずは核となるべき自己の考えや意見を持つことが先である。
●折角だから、学校で習った英語や巷に溢れているカタカナ表現も参考にしつつも(←欲張りかな?)、自分の興味ある事や趣味の世界から徐々に触れ合って習得していくのも一つの学習方法。

“Practice makes perfect.”

2.英国鉄道の魅力・・・・・(What made you enjoy about the B.R?)・・・・・

すでにこれまでに2回に渡って(第16回目と第18回目)、この国の鉄道と模型製品を楽しみながらも、長々と紹介してきましが、今回で3度目の正直となります。(4度目もあるかもしれません?)
“お前はなぜ?そんなにこの国の鉄道に肩入れをしたの?等との疑問をお持ちになられると思い、この答えを単純明瞭にズバリ表すとすれば、先のコーナーにおいて、長々と書きましたモノを吸収するためだけのツール(道具)です。 (キッカケはこれでしたが、鉄道を含めてここまで嵌るとは…!)

さて次に、上記以外の返答を鉄道に限って下記に2点掲げてみましょう。
① 嘗てわが国に鉄道という素晴らしき交通手段を伝え、それらが今なお日本鉄道においての主な国内常識として定着し続けているからです。
(例・駅のプラット・ホームの高さや列車運行が左側通行等、共通項目がかなり多い!)
② 英国鉄道は、1994年以降、分割民営化政策によって、各線路上を走る車両はもとより、ありとあらゆる鉄道施設の改良が日々進んでおり、その刻一刻と移り行く姿に興味を覚え、“明日はどんな流れになるのか?”という前向きな将来像について、とても楽しみとなったからです。

勿論、以上を総合的な観点より、注意深く眺め、そして独自に探ってみれば、2002年以降の変化は、特に、昨今における世界標準水準のビジネスシーンそのものでもあります。
管理をする側は、前もって、一定水準の土俵を用意し、参加を希望する側にオ−プンにこれらの意志を伝える。
ある程度、集まってきた段階で、それまで思い描いていた個々のイメージを一旦は完全にクリアーにし、直接対話の交渉を幾度も行いながら、最も相応しい相手を選択。
その後には平等な情報と機会を幾度も与えながらも、調整を行い、フェアーな競争を現実的に求めて、お互いの信頼関係を序所に高め、ビジネスを発展させる。

“鉄道のみならず、世界は大変広くて魅力的ですね。”

このコーナーの最後に、日本国内にて出版されたお勧めの書籍をご紹介させていただきます。
英国の鉄道につきまして、過去を振り返って数多くの知識を習得する事は、結局のところは、心から楽しむ為の基礎となるはずです。現代型しか好んでいない私も勿論!本店3Fにて購入し、熟読しました。(→要チェック!)

“イギリスの鉄道のはなし”
—美しき蒸気機関車の時代—

筆者名・高畠 潔氏
出版社名・成山堂書店刊
刊行年・2004年10月付
定価・¥2.940(税込み) (¥2.800+消費税)
(ウェブ http://www.seizando.co.jp)

3.InterCity125の紹介・・・・(Let me introduce InterCity125)

InterCity125と聞いて、あなたは一体どんな列車であると思います?
多少なりとも海外を旅した経験や、この種の趣味を長らく楽しまれている皆様に直接お尋ねしてみれば、結構具体的な印象を持たれており、今回のこの連載を正式にアップする中で正直申し上げて、ホット〜一安心させていただきました。

同車のイメージとしては、“英国の新幹線だ!”とか“ブルドック”や“海坊主の親玉みたい”という声まであり、編成全体の配色としては、そのお答えのほとんどが、今から10年程前までの “Swallow”と呼ばれた国鉄時代末期のクリーム色とグレーの2色をベースに窓下には赤ラインを巻き(先頭部分は+黄色)、前後の先頭車のサイドに付いたIC(インターシティ=都市間連絡特急)を表す燕のマークが誇らしげにあった時代のままでした。

では、以下にこの車両につきまして、約30年に渡り活躍してきたこれまでの流れと共に今日の最新情報を加え、可能な限り正確にレポートをしますので、お付き合い願います!
最高時速200Km/h(125マイル)で全島を日々駆け巡るこの列車は、今なお複数の主要な幹線上において、看板列車として大活躍中です。電気式ディーゼル駆動(注①)を主な動力源とし、この機能を搭載した鉄道車両界の中では、今もって世界で最も速い営業運転用の列車でもあります。 独得の大きなサウンドを周囲に鳴り響かせながら、時々には黒煙(白煙)を勢い良く天に向かって吹き上げ(=だからドーム式のターミナル駅は、視界不良?)、その姿を間近で眺めれば、あたかもモンスターではないか・・と感じ、わが国に多数ある鉄道車両では今もって、お目にかかった事がなく、目撃したあの日から不思議な迫力に釘付けとなっております。

元々この車両の実名は、HST(High Speed Train)でしたが、1988年以降は、IC225という東海岸本線(East Coast Main line)用の新系列が、この国における最高時速(225Km/h)となった理由より、今日ではHSTよりもむしろ InterCity125(IC125=インターシティ・ワン・トゥ・ファイブ)で表現されるのが一般的です。

英国もやはりヨーロッパという立地条件からなのでしょうか?前後に付く動力車両は、Class43という専用機関車であり、その間にはMK3という無動力の客車が7〜8両ほど組み込まれ、1本のプッシュプルの固定編成として構成されております。

同車の正式なデビューは、今から約29年前の1976年10月4日で、嘗て広軌2.140mmのブロード・ゲージ(Broad Gauge)という規格で、路線延長を強烈に推し進めた、天才技術者のアイザンバート・キングダム・ブルネー(Isambard Kingdom Brunel)の居た元Great Western Railway(G.W.R)社の敷設したレール上からで、信号と地上設備類を若干改良した程度のみでのスタートとなった。この事は、莫大な建設費を新たに掛けなくても、比較的ラクに高速化が可能な路盤がすでに完備されていたという証拠ではないだろうか。
(※勿論、InterCity125が運行した時にはすでに、標準軌間の(1.435mm)で改軌が完成済みでしたが。)
当時、このWestern Region(西部地域(②)に専ら投入された同列車(最終段階で計画どおりの計27編成を投入)は、MK3という専用の新型軽量客車7両を含めた、一編成が9両での固定編成となっており、253系列というセットで主な分類がなされていた。
その為、同機関車群が持つ固有の形式名称である、Class43(43型)というような呼び方は今ほどにメジャーな言い方ではなかったようです。
日々刻々と、西部地域内においての、旅客輸送人員が増加し、合わせて営業運転時の運用効率が、それまでの列車群よりも飛躍的にアップした為に、一刻も早い近代化が次ぎに叫ばれていた・・・ECML(East Coast Main Line(東海岸本線)には、2年後の1978年10月の時刻改正より追加導入が始まり、この路線も最終的には、導入予定数のとおりの総勢32本の編成が任務に就いた流れとなりました。尚、先の西部地域に投入された編成内容とその両数は、当初より異なっていた(一編成=機関車2両+客車8両で、セットによってはビッフェ客車が2両付き)為に、254系列という新セットでの分類区分がなされた。

その後の1983年5月には、Midland Countries(注③)という中部イングランドの各都市に向けて路線を延ばす区間や、今日においては、一民間運行組織であるVirgin XC(Cross Country)社が主な旅客輸送を担当している、所謂首都のロンドンを経由せずに全島を左右に横断する路線等へも続々と進出し、この事柄は、当時の英国国鉄にとってのカリスマ的な存在と認識され、それまで活躍してきたどんな列車よりも貢献した嘘偽りなき証でもあります。
(※首都・ロンドンから見て、南側の地域は主に第3軌条集電方式の為、一部の例外を除き入線した経歴は今のところは、ありません。)

さて、この列車を実用化するに当たり、実はその4年前の1972年には、試作車両としてプロトタイプの編成を完成させており、実際の本線上において数々の走行テストを地道に行い、高速運転用の貴重な各種データーを収集していた流れもありました。(下記の写真は、York(ヨーク)の国立鉄道博物館内にて)

またこのInterCity125と平行するような形で同じような時期にAPT-E(Advanced Passenger Train Experimental)と命名した、ガスタービン駆動方式と振り子機能を併せ持っていた大変野心的な4両の試作車両や、1976年5月に一応の電化が完成できたWCML(West Coast Mainline=西海岸本線)向けに開発を行ったAPT-P(Advanced Passenger Train-P)という車両も登場し、将来の本格的な営業運転を目指していたのだが、残念ながら両編成共に、その後に発生した、オイルショックや B.R(英国鉄道)の労使闘争、そして度重なった振り子機能によるアクシデント(例・曲線走行中に車体傾斜で建築限界を超えてしまい、ある時はホームとの接触)等により、結果としてこの平行プロジェクトは、座礁に乗り上げてしまい、APT列車開発のすべては海の藻屑と消え去ってしまった訳です。
今ではYork(ヨーク)にある国立鉄道博物館内の野外にAPT-EをそしてCrewe駅付近の本線の脇には、APT-Pが展示保存をされており、ひっそりとたたずむ両車両の姿を垣間見る事ができます。

これらの歴史より感じた事柄は、結局は従来からの、あたかも階段を一歩一歩昇るような技術力の積み重ねが、最終的には、日の目を拝め、長年に渡って第一線上での活躍が許されるという証でしょうか。
(※私個人の印象では、人にもよるとは思いますが、英国のWASP(プロテスタント系白人)という人種の集団は、何事も遣るとなれば我を忘れるぐらいにとことんやるのに、その必要が無くなったと判断するや否や、それまでの努力をピタリと完全に辞めてしまい、再スタートをするには多くの時間が掛かる・・・と感じておりました。→対極例はゲルマン系の人種?)

さて本来のInterCity125の話に戻りましょう。
これまで順を追って解説してきた中で、編成全体を牽引する同機関車についても大変興味深いエピソードが一つあります。
1978年10月の時刻改正より追加導入が始まったECML (East Coast Main Line(東海岸本線))という路線上での話題です。
“やはり高速鉄道車両の標準は、電気駆動であるという!”見方は、当時も少なからずあり、同じような時期に続々と新しく登場していた各国の鉄道は、地上設備の新設(改良)と共にこの方式がごくごく自然な流れであった。
(例・フランスのTGV、わが国の東海道新幹線等)

英国も一応、WCML(West Coast Mainline=西海岸本線)という区間では他国と同じ電気方式にての営業運転こそはすでに行っていたのだが、何分同区間の途中においては超えなくてはならない山脈があり、迂回運転による走行区間の延長と共に、気象環境の変化などをモロに受けやすかった。(※特に冬場の積雪)その為、首都より終着駅までの全区間について、ほぼ一定のなめらかで平坦な土地が続く、ECML (East Coast Main Line(東海岸本線)にスポットライトが向けられて、徐々に電化の工事が進められていったわけです。
1989年4月には、第一陣として輝かしく電化が完成したLondon King’s Cross〜Leeds間があり、月日を前後しながら約3年の歳月を掛けながら、新形式の電気機関車Class91(91型)と専用客車(MK4型)の開発に着手し、共に営業化を推し進めておりました。



実際の営業運転時には、同国国内史上における最高速度を記録した同列車でしたが、反面、編成中に組み込むはずの専用客車と、今では必ず同編成のロンドン方向に付いているDVT(Drive Van Trailer)と呼ばれる運転台付きの制御車両の新造が、特に遅れに遅れた為に、また合わせてこの路線の先にある非電化区間への直通運転を模索した結果からか、それまでの主力であったInterCity125編成(客車を含めて10両)のうち、片方向の動力車両を抜き、先の電気機関車と共に試験走行を行った実績もあります。(※この時に大掛かりな改造を受けたのは、8両でした。(注④))

尚、WCML(West Coast Mainline=西海岸本線)においても、Class86などのさまざまな電気機関車との協調運転テストをしたようだが、残念ながら、各電気機関車とこのInterCity125編成との組み合わせは、結果として実際の営業時には使われずに、その後はそれぞれのネグラの路線に帰り、そして今でも下部のフロントカバーが無いままで、左右のバッファーとジャンパ線類を露出した、ある意味異質な顔のClass43を時として、見られる機会さえもあります。

(写真は昨年London King’s Cross 駅にて撮影したG.N.E.R色ものです。)

さて、この辺でそろそろ同編成の現代についてのリポートをしましょうか?
ご承知のとおり、1994年より開始された英国国鉄の分割民営化政策によって、同編成もその他の別の車両と同じように、今日では全95編成のすべてが、 Angel Trains社とPoterbrook社の2社の管理下に置かれ、日常の営業運行のみを下記のオペレーターが主に受け持っております。

① First Great Western社 ●運行区間・London Paddington〜Penzance,Bristol,Cardiffなど
●主要検車区 St.Philips Marsh(Bristol) Laira (Plymouth)
② Midland Main line社 ●運行区間・London St.Pancras〜Leicester, Derby, Nottingham, Sheffield, Leedsなど
●主要検車区 Neville Hill(Leeds)
③ G.N.E.R社 ●運行区間・London Kings Cross〜Abadeen, Inverness, Leeds, Hull
●主要検車区 Neville Hill(Leeds) Craigentinny (Edinburgh)
④ Virgin WC社・Virgin XC社 (→2004年夏ダイヤまでの運転)※現在は、①〜③の各オペレーターに移籍し、活躍中です。

備考)Rail track社の経営破たんによって出来た、新組織・Network Rail社が所有するNew Measurement Trainという名前を持つ7両編成の軌道検測車両もあります。(→スペシャルとして、このページの終わりにご紹介します。)
月日を追うごとに、転属や編入などが今なお盛んである為に、実際に走り去る姿を確認すれば、運行会社によっては、前後の機関車は勿論の事、中間に組み込まれている客車の外装(内装も)がバラバラという例もあります。
(下記の写真はMain line社色のものです。)

同車が約30年余りに渡ってほぼ100%の割合で、なお第一線で大活躍中という姿は、単純に保守や管理がラクといった現場サイドからの理由のみならず、結局のところは、英国人らの主義である“物を大切に、長年に渡って愛用する”という確固たる信念がベースとなっているように思えてなりません。
今後は、我々も色々な面にて見習う必要を痛切にも感じてもおります。
このページの最後に、データーと今日の姿を出来る限りご紹介させていただきます。(→将来的に別の枠を持って、さらなる紹介にも努めたいと思っておりますので、どうそご期待下さい!)

(注釈の解説)
① 電気式ディーゼル駆動とは?
搭載のディーゼル機関で交流発動機を駆動し、整流器で電圧を調整しながら、直流の電動機を駆動させながら走行のための動力源を発生させる方式。(=同車は牽引する客車向けのサービスも電源も含んでいる)
② Western Region(西部地域)
London・Paddington駅を起点に、BristolやSouth Walesといった各都市や地域を表す。
③ Midland Countries(中部イングランド地域)
London・St.Pancras駅を起点に、Leicester, Derby, Nottingham, Sheffieldといった各都市や地域を表す。④ DVT(Drive Van Trailer)向けの改造全8両に同工事が実施された。改造された車体番号は以下のとおりです。
第一陣43014,43123 第二陣43013,43065,43067,43068,43080,43084

① InterCity125(Class43電気式ディーゼル機関車主要緒元)

●機関車ナンバー 43002〜43198
●製造数 計197両
●設計・製造 BREL Crewe
●製造年 1976年〜1982年
●軸配置 BO-BO(台車間2.600mm)
●総重量 70t
●車体全長 17.8m(実寸17.792mm)
●車高3.90m/車体幅2.73m
●エンジン形式(総出力・1.500rpm時)
① Paxmann Valenta12RP200l(1.680kW)
② Mirrles BlackstoneMB190(1.788kW)
③ Paxmann VP185(2.010kW)

② InterCity125(Class43)の姿・・・・・


First Great Western社(旧色)

First Great Western社(新色)

Midland Main line社(旧色)

Midland Main line社(新色)

G.N.E.R社(旧色)

G.N.E.R社(新色)

③ InterCity125(Mk3)専用客車ガイド

先の動力車両と共に1976年9月から製造が開始され、1982年までに続々と組み込まれていった。
形式と番台は、主に8つで分類されていますが、今回は個別での解説は割愛し運行会社ごとでの紹介とさせて頂きます。
●基本構成 車体全長23.0m/ 車体幅2.74/ 車高3.90m/ 重量33〜39t台車形式 BT10型/ 台車間2.600mm客室座席数 1等(48席)2等(72席)、食堂車(33席)
☆側扉は、登場以来英国鉄道伝統の手動の外開き式。開閉の為のノブは、外側のみの取り付けである為、客室より降車する場合は、一旦扉のガラスを下げ、手を表に出しノブを回す必要がある。


First Great Western社(旧色)

First Great Western社(新色)

Midland Main line社(旧色)

Midland Main line社(新色)

G.N.E.R社(旧色)

G.N.E.R社(新色)

④ InterCity125編成

主な編成の組み合わせを紹介します。

A 10両編成例
(内訳=動力車両×2両、1等客車×2両、2等客車×5両、食堂客車×1両)

Class43
(動力車)
A号車(TGS)
2等(車掌室付)
B号車(TSO)
2等
C号車(TSO)
2等
D号車(TSO)
2等
E号車(TSO)
2等
F号車(TRBF)
1等ビュフェ車
G号車(TFO)
1等
H号車(TFO)
1等
Class43
(動力車)

B 9両編成例
(内訳=動力車両×2両、1等客車×1両、2等客車×5両、食堂客車×1両)

Class43
(動力車)
A号車(TGS)
2等(車掌室付)
B号車(TSO)
2等
C号車(TSO)
2等
D号車(TSO)
2等
F号車(TRBF)
2等
G号車(TRBF)
1等ビュフェ車
H号車(TFO)
1等
Class43
(動力車)

⑤ New Measurement Train(NMT) of InterCity125

所謂、高速軌道向けの検測車両で、2003年春頃に余剰となっていた車両を集め、大改造の末に投入をしました。
わが国・日本の鉄道技術の高さを尊敬し、Dr.Yellow(ドクター・イエロー)という同じニックネームとされました。(※Flying Bananaという別名もあります。)
昨年(2004年)秋ですが、日夜を問わずに24時間営業で全島を巡回している同編成の写真撮影に成功しましたので、先の予告のとおりにおまけとしてご紹介をしておきます。同編成の面白い点は、DVT(Drive Van Trailer)向けの改造を施された動力車が2両(43013、43014)含まれており、中間に入っている客車がMK3のみならず、過去に一度も連結する機会の無かったMK2という系列の客車が2両含まれている事です。(※中間のMK3客車は、IC125の試作編成を流用したものです。)

New Measurement Train の編成例(動力車×2、MK3×3両、MK2F×2両)

Class43動力車
#43062&43154
Mk3
(977984)
Mk2F
(977974)
Mk3
(975984)
Mk2F
(999550)
Mk3
(975814)
Class43動力車
(カメラ搭載車)
#43013&43014

※編成の進行方向は、随時変更となる。


Class43062

Class43013 (軌道検測用カメラ搭載)

(参考文献等・・・・)
●Modern Railways Magazine各号
●Rail Magazine 各号
●RAIL Express Magazine各号
●HST Silver Jubilee
●British Railways Locomotive & Coaching Stock 2004’
⇒ So many thanks 125 Group members

4.InterCity125の模型製品・・・・(About InterCity125 model’s)

模型ファンの皆様、いよいよ本題に突入です。ここまでいろいろと詳しく同車に関連した事柄を書き綴ってきましたので、ご理解下されたと思っております。

さて、このInterCity125という模型製品は、実車の増備がある程度進んだ同時期の1980年代始めに、主な模型メーカ—より発売が始まり、市場の隅々まで広く浸透していきました。
まずは、英国国内においての老舗的な存在であるHORNBY社が、次に世界のありとあらゆる鉄道模型製品を積極的に製造し、当時世界規模で市場を圧巻していたイタリアのLIMA社(1982年以降2001年頃まで)が、共に英国の鉄道模型界の一般的な大きさと認知済みのOO(ダブルオー・1/76)スケール(線路幅が16.5mm)を選び、続々と多くの模型ファン等のレイアウトに向けての乗り入れを地道に今なお続けております。(※HORNBY社は最新塗装の編成もあり)(勿論、長年に渡って浸透済みでした、Oスケール(1/43.5)やGraham Farish(1/148のNスケール)などの異なった大きさの模型もその後に新規で作られております。)

振り替えれば、天賞堂においても、先のHORNBY社の同製品群を新規に少数取り扱った時期もありましたが、何分他の欧州型の正確なスケール(1/87)とは若干の隔たりがあり、実際に動かすよりも飾って楽しむ趣味層が比較的多いわが国の模型界においては、ある意味トィチックなスタイルの製品では、多少の無理もあったようです。
(もっとも、今日のようにウェブなどで実車の情報を得る機会が少なかったのも上記の一要因ではないでしょうか。)

さて、私自身、当初は専らHORNBY社が発売していた製品をコツコツとコレクションに加えていましたが、なかなか十分な供給が行われず、そして前後の動力車両を除いた部分、中間に組み込まれるべき客車が1/76スケールと謳われているにも関わらず、かなり短かった(※現在はフルサイズで発売中)為に諦め、当時対極にあったLIMA社が発売していた同製品群(British Limaと呼ばれてた)を、中途半端ではいけないと己を罵って、英国国内は勿論、可能な限り世界各国の販売店より、個人輸入にて購入しまくりました。
2005年7月現在では、英国国鉄時代の各塗装色のみならず、分割民営化後にデコレートされた全鉄道色(含むHORNBY社の最新色)、このすべてのランナップ(別売の増結客車も含め)を先取りする形でコレクションを完了する事ができました。

思うに、日々の仕事で、実車と差のないような多くの精密模型を見て、触ってきた数多くの経験から・・・・少々疲れていたのかもしれません。走行させればうるさいし、塗装の乱れも多少なりともあるかもしれませんが、鉄道模型が本来持っているべき、基本中の基本であろう、気軽に扱え、黙っていても快調にガンガン走るその姿に、正直申し上げて、心身共に癒された感もあります。

ご承知のとおり、現在ではLIMA社も倒産し、2002年以降はHORNBY社の傘下に入っておりますので、恐縮ながら下記の模型写真は参考程度にご解釈なされれば光栄です。
尚、ここ数ヶ月間は、HORNBY社自身も同形式の製品化には前向きな動きが見られますので、追って、近い将来においては充実が図られると予測しております。


英国国鉄時代(中期)

英国国鉄時代(末期)

Midland Main line社

G.N.E.R社

First Great Western社

Virgin WC社(スペシャル色)

(Message)There is my private collection, only. Sorry, not for sale and trade.Thank You.

5.LIMA社の過去と明日を簡単に・・・・・(How about Lima’s?)

今回連載の最終コーナーとして、LIMA社のこれまでと明日の予想をささやかですが、書き綴ってみたいと思っております。今から4年程前のある日、LIMA社が倒産し、会社更正法が申請されたとの情報が、全世界中を駆け巡った出来事を未だ鮮明にご記憶している方々も多いはず。

西暦2000年以降、世界規模での業界再編がひそかに予測されていた中での突然飛び込んできたこのニュースは、大変ショッキングな出来事の一つでした。(→長らく予告されていたフィンランド国鉄所属のS220型ペンドリーノ車両は、今どこに?)
同社の歴史を振り返れば、その始まりは54年前の1946年でした。元々は、アルミ素材から実際の鉄道向けの客車などを主に製造する会社組織でしたが、その後は、イタリア鉄道自身が独自で企画、開発するような運びとなった為に、全方針を変え、金属加工業としてそれまで培ってきた技術力を武器に、勢いおもちゃという分野に進出を行い、一大ブームを巻き起こしました。

1953年、新オーナーの誕生と時を合わせて発案された彼の事業アイディアによって、それ以降は、プラ素材を使った鉄道模型の製品化と販売のみに力を注ぐ流れとなり、1970年代以降〜倒産までの約30数年の間は、欧州大陸のみならず、南アフリカ共和国、オーストラリア連邦、そして極東の日本といった各国の市場に一時的であれ参入し、プラ製品による品質向上を行い、鉄道模型界の普及に努めてきました。(下記の模型は珍品製品の1例です。)


Blue Train Class E444
(南アフリカ共和国)

Class Rc3 Electric Locomotive
(スウェーデン国鉄)

新幹線0系車両編成 (日本国)

N.S.W州Class3801 (オーストラリア)

来年、2006年以降は、製造拠点を中国国内に移転させ、HORNBY社の販売ラインに組み込まれ、下記のようなブランド分けの上での供給が再開される予定です。

HORNBY社の新ブランド区分(2006年以降〜)
① HORNBY(従来から発売中のHORNBY製品(1/76)全般)
② HORNBY Classic (嘗てのBritish Lima製品(1/76)全般)
③ Electrotren(スペイン型HO(1/87)製品全般)
④ Jouef(フランス型HO(1/87)製品全般)
⑤ LIMA(上記以外の欧州型HO(1/87)製品全般)
⑥ Arnold(欧州型N(1/160)製品全般)
⑦ Rivarossi(米国型製品(1/87)製品全般)

私が何を申し上げたいのか?賢い読者ならばすでにお分かりでしょう!例え量産のプラ製品であっても、今後はいつまでも店の片隅に残り続けるという光景は、精巧なブラス製品と同様に以前よりも極端に少なくなるという事です。
ご自身が興味を覚えた製品(勿論、懐ぐあいも多少関係しますが)は、あなたの目の前に存在しているうちに是非とも購入しておいた方が、その後に発生するイライラ等のストレスからも多いに開放されるはずです。

新品の生産数が大変少なくなれば、後年、中古市場に並ぶ光景も、機会も極端に減り、追って出てくるとしてもかなりの時間が必要となるわけですから・・。(※はるばる海の向こうから輸入された模型は特に・・・)
その後は、可能な限りの運転を行いながら、そして楽しみましょう。
“king of Hobby”と言われ続けて来たこれまでの鉄道模型界ですが、私自身が思うに、今後は“Kind of Hobby“化がより一層進むとの意見もこの場にて述べておきます。

P.S(追伸)
同製品の床部分に必ず刻印済みである“LIMA ITALY”は、永遠に不滅であって欲しかった……(→とても残念に感じております。By LIMA星人)

終わりに・・・・・(End of this Story)

いかかでしたか……? 今回の第23回目では、私自身が銀座という土地の店先に立ってから、15年という間に、模型と共に学んできた事柄を含めつつも、InterCity125という英国鉄道の看板的存在の列車につきまして可能な限りの紹介をしてきましたが、ご興味が涌いてきましたか?
今回の原稿を執筆中、首都のロンドンを標的としたテロ行為が、2度も行われ、多くの方々の尊い命が瞬時にして奪われてしまった出来事は、とても残念で仕方がありません。
私個人は機会を見つけてこれまで何度か、この地に向けて足を運んできましたが、出会った多くの方々らは、相手に対しての節度を頑なまでに守り、異国から遣ってきた私のような訪問者を心より迎え入れて下さいました。
今では、テロによって、人々がごくごく自然に持っていた、暖かな気配りと、多くの純心な微笑が消えてなくなる事がないように、極東の島国よりただただ願っております。

“Please accept my sincere condolences”(From the Japan)

明日からも好奇心旺盛に、地球上にある数多くの鉄道と模型を求めて、東西南北に向かって元気に走って行きます。(どうぞご期待下さい!)

“Thank you very much for your read here all the way through”
“It’s a great honour for me to write the program, I do think.”

“Relax with Model Railways!!”

(All contents wrote by Takumi Ichikawa on 25th, July 2005)

いちかわのWorld Railway

《この文章に登場する鉄道模型は、主に当社で扱っている商品ですが、連載の中には扱っていない商品もありますので、あらかじめご了承ください》

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